『アイデンティティ』

実は・・・(神妙な面持ちで。)

ゆるーくカミングアウトすると僕は脳みそにある特性をもっているのですね。それは例えば、落ち着きがないとか衝動的に行動するとか忘れっぽいとかといった特性なのです。それのおかげで社会や人との関わりがあまり上手くできないことが多いのです。また、ものごとにハマりやすかったり、かと思えば飽きっぽかったりと、ここでも落ち着きのなさと集中力のなさが際立ちます。

というふうに僕はなんともなかなか厄介な性質の人間なのですね。でもそれは病気ではないし障がいでもないのです。(強いて言うならこれが僕なんだよってことですかね。)まあ世間ではそれを発達障がいと呼ぶこともあるようですが、わざわざ書かないけども分かる人には分かることでしょう。とまあそういうことです。とにかく僕は紛れもない事実としてそのような問題を抱えているのですね。(本人は問題とは思っていないが、でもそれが問題なのかも知れない。)

ちなみに主に強く出てくる性質がADHD(注意欠如多動症)というものです。

ADHDって名前なんかカッコよくないですか。でも注意欠如多動症って「症」という字面だけ見せられると病気みたいですよね。でも病気じゃないんですよね。あくまでも個性、でも周りからよく言われるのは「変わっているね」ということです。

変わっているねなんて、絶対最高超絶的なお褒めの言葉ですからその度に僕はアリガタヤーなんて思っています。だからもっと褒めてね。

僕は別に他人に自分のことを理解してもらおうなんて一ミリも考えていないし、逆に他人のことをそんなに深く理解しようとも思っていない。しょせん人は人で自分は自分やしって、ちょっと冷めた目で世の中を見ておりますです。はい。

ADHDなどの発達障がいを抱えた人は才能が豊富で天才だなんて言われているようですが、そんなことねーよねって思っています。それって結局は周りが発達障害の人間でも生きていきやすいように気持ちを緩和できるように言っているだけでしょ。きつい言い方をすれば所詮は他人事でしかないんですよ。

当事者たちは自分のことを天才だなんて一切思っていないし、むしろ普通でいいからもっと楽チンに社会と付き合いたいと考えているんですよ。でも中には僕のように自分のやりたいことを見つけてそれを実際にやらせてもらえる環境や状況になった時には少しは能力を発揮するのかなとは思っています。だけどほとんどの当事者たちは自分のやりたいことを出来ず、社会や他人とも上手く向き合い付き合えずに生きておられるのですね。

 

なぜこのようなことをわざわざ書いたのかというと、僕がヨーガを継続している理由がそこにあるのではないかなと思っているからです。先に書いたようにそのような特性をもった人間だからこそヨーガで自己と向き合う時間が心地よいのかも知れないなと思うのです。ヨーガの練習で自分を認めていく作業が嬉しいのかも知れないなとも思うのです。

だってヨーガの練習って自分一人でやるものだから、人と比べなくていいし人の評価を気にしなくていいし勝ち負けといったくだらない価値観は皆無ですからね。「え、ヨガって一人でやるものなの。私の行っているヨガクラスは参加者がいっぱいだよ。」はいはい。そうですか。それはね、多数が参加するレッスンでも結局は自分で動いて自分で呼吸して自分で色んなことを感じているでしょ。だから一人なの。僕はこのように言うのです、ヨーガの練習は他人事ではなく自分事なんだよって、自分と向き合うところからヨーガは始まるよって。

レッスン中のヨーガの先生なんてオプションにしか過ぎないと思うのです。主役は先生じゃなくレッスンに参加したわたしたち一人一人です。

例えば、いくら素晴らしき教えを受けたところで受け取り方が悪ければ身体も心も何も変わりませんよ。僕はヨーガのレッスンって自己セラピーだと思うのですね。そのセラピーを成功させるために先生の声がけやリードがあるのであって先生が生徒を変えているわけじゃないのですよ。それをまずは理解しないといつまでたっても先生に依存したまんまです。

ヨーガをするにあたって動機があればいいかなと思うのですが、それは「変わりたい。」という想いですね。動機がなければものごとは1ミリも動き始めませんよ。

そしてそこから、「自分は変わるし、いつでも変われる。」という自分を信じる気持ちをもつことでヨーガの力がうんと発揮されるのだと思います。

そして最大限の努力をしつつ継続することがわたしたちを求めた場所へ運んでいってくれるのですよ。そしてそれでも求める場所に辿り着けないことがあります。その時も四の五の言わずにただ継続するのみです。

そしてそれ以上これ以上はもう無理かなというときはどうしましょうか。

はい潔く諦めましょう。そしてあとは自然の流れや変化に任せるのです。

全てのものごとはうまいことおさまるべき場所へおさまるようになっているのです。

 

いやいやすみません。ついつい熱い語りをさらっとしてしまった上で、再び僕の話。

僕はある脳みその特性によって社会や人との関わりが上手くできないのだよということでした。だから生きていきにくい・・・だけどそんな自分でもヨーガとの出会いで変われた。ヨーガをはじめた当時は自分が分からなかった、僕はいったい誰で何のために生きているのかが全く分からなかった。だから享楽や快楽に身を投じ心身ともに疲れきっていたのだと思う。

でも運良くヨーガに出会ったんだけど、その実践の中では様々な葛藤があったよ。たとえば天使と悪魔が戦うシーンが漫画やアニメではよくあるけども、良き生き方をしたいと願う天使が何度も何度ももっとボロボロになるのだーという悪魔に負けていた。でもね、そんな葛藤や良くも悪くも経験を積み重ねて考えて考えて生きてきた。そのなかでひとつの真理と言うか「あ。」と気づいたことがあったのです。それが難しく言うと二極を超えて存在するということ。つまりは良い生き方とか良くない生き方とかにこだわっているうちは結局は落ち着かないんだよねって。それならばものごとを中立の立場で見てみたらいいじゃないと。そうするとあらあら不思議なもので天使と悪魔がひとつになっちゃいましたよ。つまりはその天使と悪魔の合わさったのが僕だったんですね。

そこに自分らしさ、つまりはアイデンティティを見つけることが出来たというお話でした。

 

おしまい

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