「アホであれ。なんちゃって。」

 

世の中にはだいたい2種類の人間がいる。

賢いふりした知識人風の人間と、アホなふりしたアホっぽい人間。

そして、この世の中では賢い風の人間の方がもてはやされる。たとえそれがうわべの知識だったとしてもだ。

それはなぜかと言うと、多くの人間は自分の知らない知識を難しい言葉で語る人間に尊敬の念を抱き、さらには思考停止に陥り、「あれ。この人はすごいかもしれないよ。」という勘違いを起こすからだ。

だけど、実は賢いのは後者であって、でも世間はそのことを見抜けないから知識人風の人間の言うことに対して分かりもしないのに大きく頷き、過剰に誉め称え、さらにそんな人間に憧れる。

そしてアホなふりした実は賢い人間は、そんな人間をみてアホなふりしてほくそ笑む。

賢いふりはやがてバレるけど、アホなふりもやがてバレる。

だけどアホなふりした人間の真の姿に気づけるのは同じようにアホなふりをした実は賢い人間だ。

 

 

生きていく上で知識は救いだが、知識は迷いにもなる。

知識が多ければ人生が豊かになるが、知識が少なければ毎日が豊かになる。

 

だからほどほどにぼちぼちと生きるためには、1ミリの賢さと最大限のアホっぽさが必要なのかもなと思うのです。

 

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