「飛ぶための方法」



生きていくためにと称して、さまざまな肩書きを手に入れ役割を得る。そうして社会や人との関わりが増えることは社会的な信用度が上がるということ。だけどそれは同時に責任が増えるということでもあるのだよ。

「責任」という言葉の意味はとても重たくてぼくは押しつぶされそうになる。 ぼくは軽くなりたい。
そう肉体的にも精神的にも、そして社会的にも身軽でいたいのだ。
ぼくにとって社会的な信用度を高めることは足枷となり責任が増え、ぼくはどんどんズンズン身も心も重たくなるのだ。

つい先日、夢を見た。 空をびゅんびゅん自由に飛びまわる夢だった。その夢の中でぼくは自由に空を飛んでいた。

その飛び方を誰かに教わったのだが、誰かは分からない。いや誰かは分かりそうだがなかなか上手く思い出せない。あなたはいったい誰ですか?

その誰かはこう言っていた。「飛ぶために必要な技術は何もない。飛ぶために必要なことは力むことではなく、力を無くすことだ。」

夢には意味があると誰かは言う。 いや、夢には何の意味もないと誰かは言う。

実際に意味があるかないかはわからない。だけど意味があると考えてみた方が楽しくて、なによりも夢がある。
そしてそれくらい気楽に頭を使っていた方が力みが無くなるのではないかなとぼくは思う。


力を無くすことで、ぼくは飛べる。

「アホであれ。なんちゃって。」

 

世の中にはだいたい2種類の人間がいる。

賢いふりした知識人風の人間と、アホなふりしたアホっぽい人間。

そして、この世の中では賢い風の人間の方がもてはやされる。たとえそれがうわべの知識だったとしてもだ。

それはなぜかと言うと、多くの人間は自分の知らない知識を難しい言葉で語る人間に尊敬の念を抱き、さらには思考停止に陥り、「あれ。この人はすごいかもしれないよ。」という勘違いを起こすからだ。

だけど、実は賢いのは後者であって、でも世間はそのことを見抜けないから知識人風の人間の言うことに対して分かりもしないのに大きく頷き、過剰に誉め称え、さらにそんな人間に憧れる。

そしてアホなふりした実は賢い人間は、そんな人間をみてアホなふりしてほくそ笑む。

賢いふりはやがてバレるけど、アホなふりもやがてバレる。

だけどアホなふりした人間の真の姿に気づけるのは同じようにアホなふりをした実は賢い人間だ。

 

 

生きていく上で知識は救いだが、知識は迷いにもなる。

知識が多ければ人生が豊かになるが、知識が少なければ毎日が豊かになる。

 

だからほどほどにぼちぼちと生きるためには、1ミリの賢さと最大限のアホっぽさが必要なのかもなと思うのです。

 

「脱力のための息づかいの3原則」

 

考えた事ありますか?

息をするのはなぜか?

それはこの肉体が生きているから。つまり、生きるとは息をし続けるということです。

いや、息をし続ける限りは生き続けると言った方がいいのかも知れません。

細かく言うと60兆個の細胞が酸素を求めているから勝手に息をするんだそうですよ。心臓の働きもだけど、すごいね人間って。

とにかく、生きていくことと息はとても密接に繋がっていそうです。

 

今回は、息、呼吸についてのお話です。

皆さんは、息を止める事できますか?

止められるならどれくらい? 

1分?ふーん、まあまだ余裕でしょう。

3分?おー!なかなかすごいですねー!

5分?すごすぎる!でも死んじゃいますよ。

10分?いやはや超人ですね。前世は行者かなにかだったのでしょうか。ていうか気絶してませんか?

実は、というかご存知でしょうが、息って長い間止めておくことが出来ないんですよね・・・

 

断食、断酒、禁煙、禁欲と・・・世の中には、断つべきものやこと、禁じるべきものやことがたくさんあります。

断食であれば、食事を断つ(もしくは減らす)ことで心身のリセットを行います。

断酒は、アルコールを断ち、疲れた肝臓を休める効果があるかな・・・

禁煙は言わずもがな、そもそもタバコは吸っていない方がいいかなと思う。(個人的な意見ですが、昔は吸っていたので実体験に基づいての考えです。)

禁欲、これは人間の3大欲の中でも大きなエネルギーを持つので、なかなか制御するのが難しい方も多いのかなと思います。

その証拠に世の中には風俗の店や、エロいDVDなんかが溢れています。

性犯罪なんかは、こんなにも先進国(表面的には?)である日本でも頻繁に起こっていますよね。

欲望には様々なものがありますが、性欲という強力なエネルギーは、どうにもこうにもなかなか制御できないのでしょうね。

「だからこそそのような強力なエネルギーを正しい方向に向けなさい」とヨガでは教えています。

 

で、断つことや禁じることの中に、断息(とは言わないかな)は一般的な人々の考えの中には、まずないのではないかなと思います。

体に悪いことや悪い習慣を改善、リセットするために、断ったり禁じたりという行為を行います。

しかし息を断ったり禁じたりはまずしません。

なぜ?

「だって息を止め続けたら死ぬからね。」

よく分かっているね。そう、よくよく知っているんですよ、僕たちは。

知っている。だから息をわざわざ止めないのです。

 

そして、意識的に息を止めないのと同じように、意識的に息をすることも実はあまりないのですよ。

知っていますか?今の自分がどのような息をしているのか?

昨日のお昼ご飯を食べながらどんな息をしていましたか?

大好きなあの人と抱き合っているとき、どんな息をしていましたか?

嫌いな人と仕方なしにお話をしているとき、どんな息をしていましたか?

まあほとんどの人は知らないでしょう。

それはなぜかというと、息は無意識で繰り返しているからですよ。

だけどね、息って僕たちの心の表れなんですよ。

つまり、どのような息をしているかを知っている。それは、”自分の心”というよく分からないものを把握しながら生きているということなのです。

だから息って大事。

そんな大事な大事な息を扱うということ、それを、”息づかい”と言います。(いわゆる呼吸法なのですが、僕は息づかいと呼びます)

 

で、やっとダツリキのための息づかいの3原則

‖を深くすること。

息を長くすること。

Bを広くすること。

 

長ーい前置きに対して、言いたかったことはたったこれだけ・・・

難しい理論や説明で頭をカチコチにするくらいなら、シンプルにリラックスしながらいる方が笑って生きていけます。

この3つの言葉をイメージしながら息をすれば、心に落ち着きと平常心を取り戻すことができ、冷静な自分に戻って来ることができると思います。

では今日も良い息づかいを!

 

 

God bless you & Good breath you.

yama

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おちついてみること」

地震に大雨、最近の日本は落ち着かずに動き続けています。

その現象が自然の流れや動きであるのであれば、私たち人間は諦めることしかできないのかも知れません。

そうすることで人間は前を向いて前に向かってずっと生きてきたはずです。

 

だけど、いざ諦めろと言われても、諦めきれませんよね。それはとてもよく分かります。

だけどその事実を受け入れ、諦められなければ、いつまでもいつまでも身体と心にその現象の記憶がこびりついたままです。

記憶とは脳の中に蓄積された過去の経験だけではなく、この肉体が、この心が、さらには内臓、血管、神経、細胞etc...といった身体の組織全てにこびりついているものなのだと思います。

たぶんそれを仏教では「業」(サンスクリット語でカルマ、パーリ語でカンマ)と考えるのでしょう。

業は私たちの人生に良くも悪くも影響を与えるそうで、いわば私たちの人生は業に支配されていると考えてもいいのかも知れません。

(運命論とはまたちょっと違うのです。運命は変えられますが、業は変えられません。)

 

 

まあ、いまはそのような小難しい話は関係ないのでやめておきまして、諦めるために何をすれば良いのかということを書きますよ。

諦めとは放棄です。カッコつけて英語で言うなら「サレンダー」。

諦めとは、最大の努力をしたのだけども、「これ以上はどうしようもない。」というときにおこる感覚です。

だけど残念ながら多くの人は諦めることがなかなかできずにとことんまで努力と称した悪あがきをしたがります。

 

 

では、どうすれば諦められるのか。

そのポイントはリラックスをすることです。わたしたちは心身がくつろいでいる時にこそ現実を冷静に見つめ、その事実を受け入れることができるものです。

 

再び小難しい話をすると、自律神経が交感神経優位から副交感神経優位になっている時にはくつろぎがあります。

そしてこの自律神経は、交感神経優位のときが動物的な状態で、副交感神経優位なときが植物的な状態です。

動物は危険や攻撃、いわゆるストレスから逃げようとしますし、戦おうともします。お腹が減ったら自分から食物を求めて移動します。また種を残すために生殖活動もしますが、そのほとんどは能動的です。

では、植物はどうでしょうか。動物に対して全てが受動的だと思いませんか?

 

はい、これがポイントです。

諦めるとは、植物になること。ではなく植物のように受動的になることです。わたしたちはとにかく能動的すぎるのです。なんでもかんでも自分で出来ると考え、自分でやろうとしすぎます。

だからこそ自然環境や自然現象に対してさえもなんとかしてやろうと考えてしまうわけです。

 

とにかく、全てを放棄して流れに身を委ねて受動的になりましょうよ。

たまにはのんびり散歩して、そこらにある木にそっと触れてみてください。木はわたしたちに教えてくれますよ。

「もっと受け身になってみなさい。そうすれば調和の世界に生きられるよ。」と。

 

 

 

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【では実際にくつろぎ落ち着くための方法です。】

 

 

椅子や床で緊張のない座り方を見つけましょう。

みぞおちに指先を軽く触れてふわっと押してみてください。

 

そこに感じるドキドキはゆっくりですか?

それとも少しハイペースですか?

それともかなりハイペースですか?

 

ドキドキがハイペースだなと感じた人は少し緊張して力んでいるのかも知れませんよ。

それは地震や大雨の恐怖からかも知れないし、または日常の些細なことの蓄積かも知れない、はたまた過去からの何かかも知れない。

 

 

度合いの差こそあれ、それらはどれもストレス反応です。

 

そんなときは、みぞおちに指先を優しく触れたままゆっくりゆっくり呼吸をしましょう。(鼻呼吸でも口呼吸でも構いません。)

吸う息でドキドキをさらに感じますが、大丈夫。

吐く息でドキドキは落ち着いていきます。

 

気持ちとドキドキが落ち着いてくるまで、何度か繰り返してください。

 

 

【慣れてきた方へ。】

呼吸を無理のない範囲で深く長くしますが、その際とくに吐く息に意識をフォーカスしてください。

吐く息とドキドキの関連を感じ取ってください。さらに呼吸の出入りを出来る限り静かにできればできるほど効果的です。

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生きとし生けるものが安らぎと静けさに包まれ生きていけますように。

生きとし生けるものが平和に満ちた幸せな毎日を過ごせますように。

「脱力について」

 

タイトルが脱力についてなので、早速。

 

「脱力」

 

この言葉はいったいなんなのでしょうか。

なんだか字面だけを見ているととってもゆるいですよね。

 

「脱力」とは、辞書によるとですね・・・

・からだから力が抜けてぐったりしてしまうこと。

・意欲、気力が衰えること。

・気持ちの張りがなくなること。

 

以上、

なんですかこれは・・・

病気などの場合を除いて、こんな人がいたら世間様から「ダメな奴。」の烙印を押されてしまいそうですね。

(まあ世の中には割と多いようですが・・・。)

 

 

ぼく:違うのです。「脱力」とは、「ダツリョク」ではなく、「ダツリキ」と読むのです。

 

あなた:は?へ?何が違うの?

 

ぼく:はいはい。そう、お思いでしょうね。では、ダツリョクとダツリキの違いを説明しましょう。

 

 

「脱力・ダツリキ」とは、

「力み・リキミ」という日常の中で無意識に生みだしてしまっている心身の過剰な緊張に気づき、自分の意志でそれをゆるめていくこと。

 

以上、

どうですか?ぜんぜん違うでしょ。そのための理論と方法を知ることが「脱力・ダツリキ」なのです。

かっこ良く書くと、「DATSURIKI」です。でもかっこつけてる感が出過ぎるのでアルファベットはたぶん無しです。

 

 

長々ダラダラと書きましたが、

「脱力・ダツリキ」のイメージを簡単に言うと、「力みという衣服を脱ぐこと。」です。

 

 

ぐったりしすぎて意欲がなくなる前に更新していきたいと思います・・・

ほどほどによろしくどうぞ。

 

 

 

山下晃進・yama